中庸とは何か(意味をわかりやすく)
中庸という言葉をご存知ですか?
中庸の意味を調べると、一般的には「どちらにも偏らず、過不足がなく、調和がとれていること」といった趣旨で説明されます。
まずは、この「偏りすぎない」という感覚が、健康を作るうえで重要となる話しをします。
養生訓と貝原益軒が語る「中庸」
江戸時代の儒学者で、健康を保つための養生法を記した『養生訓』の著者である貝原益軒も、
「養生の道は中庸を守らねばならない」と述べています。
この言葉が意味するのは、健康を保つためには偏りがなく、調和がとれている状態を意識するのがよい、ということだと思います。
ここでは益軒の言葉を手がかりに、
「中庸」と「日々の調子」をどう結びつけて考えられるかを見ていきます。

ホメオスタシス(恒常性)と中庸の共通点
中庸を現代的な言葉に置き換えるなら、
「ホメオスタシス(恒常性)」という概念が近いかもしれません。
ホメオスタシスとは、身体外部や体内の変化に関わらず、生きていくうえで必要な生理機能を安定した状態に保とうとする働き、を指します。
この恒常性の維持ができている状態を「中庸」と表現すると、イメージしやすい部分もあるのではないでしょうか。
人間に限らず生命体は、偏りすぎないように日々、絶妙に調整されています。
このバランスが大きく崩れ、どちらかに偏ってしまったとき、私たちは「不調」と感じやすくなるのかもしれません。
もし日々の調子を整えたいなら、まずは「中庸=偏りすぎない」ことを心がける必要があります。

中庸は「平均」ではなく「偏りすぎない状態」
ここで一度、「中庸」と「平均」の違いも整理しておきます。
似た言葉に見えても、基準の置き方が違うと、受け取り方も変わってきます。
平均とは、自分を含むその他大勢の人と比べての平均であって、自分自身の平均を示しているわけではないので、意味合いが異なると言えるでしょう。
陰陽論から見る「偏り」と「反動」のたとえ
中庸が「真ん中(偏りすぎない状態)」を指すのだとすれば、東洋思想の陰陽論は、その両極を説明する枠組みとして理解できます。
中庸が真ん中を保つことを言うのであれば、古くからある東洋哲学の陰陽論は、中庸に対しての両極とも言えるでしょう。
陰陽論とは「陽極まれば陰となり、陰極まれば陽となる」という言葉が有名ですね。
この意味は、バランスの取れている中庸の状態から、陽なり陰なり、極端な方向に行き過ぎてそれが極まった時、全く逆の反応に変わる、というニュアンスで使われます。
これは、そのまま健康の概念にも“たとえ”として当てはめて考えると、分かりやすい部分があるかもしれません。
次にその例を見ていきましょう。
陽と陰をイメージとして整理してみる
ここも断定ではなく、あくまでイメージとして整理してみます。
「陽」をイメージしてみましょう。
「明るい、温かい、活発」
こんなポジティブなイメージではないでしょうか。
この「陽」が極まった時に、
「炎症」のような言葉で表現される状態になるのだと思います。
次に「陰」をイメージしてみましょう。
「影、裏側、暗い、冷え」
こんなネガティブなイメージなるのではないでしょうか。
この「陰」が極まった時に、
「低体温、低代謝、抑制」といった言葉で表現される状態になるのではないでしょうか。

体温を例に「真ん中」をイメージする
健康面の“たとえ”としては、体温が分かりやすいかもしれません。
ただし体温は、測定部位(わき・口など)や時間帯、環境、個人差によって変動しますが、ここでは一般的な体温ということで説明します。
一般的に平熱は、
35.5℃〜37.5℃あたりが健康時の体温の範囲として語られます。
それを“中庸のイメージ”として捉えみましょう。
もし、40℃前後の熱が出れば、それは普段とは明らかに異なる状態と言えます。これが良い状態ではないことは、多くの人が直感的に分かると思います。
まさしく陽が極まっている状態に近いですね。
この状態になればとても動けません。
病院に行くなり、おとなしく寝ているなりすることになります。
この状態が極まったあと「陰」の方向に戻っていき中庸になる。
逆に平熱が35.5℃以下の場合。
今の時代、これくらいの平熱の人なら普通みられます。
まだ「極み」まではいっていないですが、新陳代謝が低そうなイメージがしますね。
もしこれが35℃を切るほどに下がるなど、極端な状態が見られる場合は注意が必要になります。いよいよ「陰極まれば・・・」の状態です。
これも適切な処置をすることで、しだいに「陽」の方向へ進み中庸になる。
体温に関しては、一日の中でも変動があるので、それを“たとえ”にしても分かりやすいかもしれません。
一般的に体温は、
早朝4~6時付近が最も低い。
夕方14~18時にかけて上昇し最も高くなります。
そして、夜にかけて再び下降します。
この様なリズムが一日の中にもあります。
中庸という基準から、陽になったり、陰になったりという変動のリズム。
体の中は常に中庸を軸に行ったり来たりと動いています。

まとめ|中庸は「真ん中に戻る」ための発想
ここまで見てきたように、中庸は「真ん中に固定すること」ではなく、「偏りすぎたら戻ってこられる状態」。そして中庸を中心に行ったり来たりしているもの、と捉えると分かりやすくなります。
極端に振れたときほど、反動も大きくなりがちです。
だからこそ、日々の生活の中で“自分が今どちらに寄っているか”に気づくことは大事なのだと思います。
次のブログでは、
中庸を維持するにも、行き過ぎたものを中庸に戻すにも、原動力となるエネルギーが必要という話しをします。
この記事の続きはこちら。



コメント