私たちには「戻る仕組み」が備わっている
私たちには、健康な状態を維持する仕組みが備わっています。
多少、健康な状態から外れていたとしても、体に備わった力で健康な状態に戻れるようになっています。
それをホメオスタシスと言います。
ホメオスタシスと中庸は「似ているようで同じではない」
前回のブログでは、中庸という言葉でもいろいろと説明しました。
ホメオスタシスと中庸の意味は、似ているようで少し違っています。
ホメオスタシスは、体の持つ自動調整機能で状態を一定に維持する仕組み、というイメージ。
中庸は、過不足のない状態を常に基準にして、行き過ぎた過不足を避けるイメージです。


維持・調整には「原動力」が必要
ホメオスタシスも中庸も、それを維持したり調整したりするには、その仕事を遂行するための原動力が必要です。
車に例えるなら、燃料でありエンジン出力と言えます。
当然ですが、エネルギー量が多い人のほうが仕事も多くこなせます。
逆にエネルギー量が少ない人は多くの仕事をこなせません。
体を良い状態に保つためには、仕事するためのエネルギーをどれだけ多く持っているかがカギになると言えます。
そして、エネルギー量には個人差があります。
現代人は昔の人と比べると代謝が低い人が多く、エネルギー量は低い傾向にあるのではないでしょうか。
エネルギーは生命活動に不可欠であり、足りない状態では生命維持ができません。そのため、合理的かつ効率的に生命活動ができるよう、体のシステムは最適化されていると言えるでしょう。

車の例:安定走行と加速力
これは私のイメージですが、ホメオスタシスが保たれている状態は、車に例えると信号のない高速道路を時速80kmで巡行している状態に似ていると思います。
この速度は、速すぎも遅すぎもしない安定走行で、燃費もいい。
少ないエネルギー消費で遠い距離まで走れるからです。
登坂車線で追い越しをしなければいけないときでも、エネルギー(パワー)に余裕がある車なら、一気に加速して追い抜いていくのも簡単でしょう。
これがパワーのない軽自動車だったら、坂で加速するだけの余剰のエネルギー(パワー)がないため、追い越すのは一苦労です。
人も同じで、普通に生活するだけなら、エネルギー量の多い・少ないはあまり関係ありません。
しかし、怪我や病気などで普段の状態ではなくなったとき、余剰のエネルギーが少なければ、元に戻るのに時間がかかることは想像できますよね。

ホメオスタシスから外れたときに必要な「余剰」
ホメオスタシスの状態が保たれていれば、エネルギーの多い少ないはそれほど関係なく、それを維持することはできるでしょう。
しかし、ホメオスタシスから外れて不調に陥ってしまったとき、元に戻るための調整には通常運転時以上のエネルギーを使うことになります。
このようになると、エネルギーの余剰をどれだけ多く持っているかで、恒常性の維持に大きく差がついてくると考えられます。
体に過不足の状態が現れて中庸から逸脱したとき、元に戻るためには余剰のエネルギー(体を健全に戻す仕事に必要)を多く持っている必要があります。
ひと言でホメオスタシスと言っても、その人がどれだけ多くのエネルギーを持っているかによって、ホメオスタシスの維持と安定性には差が出ると考えられます。
衣食住とエネルギーの関係
体というのは、衣食住がそれなりに整い、ホメオスタシスが保たれていれば、本来なら健全性は保たれるはずです。
もし今、健全性が保たれていないと感じるなら、衣食住の何かが整っていない、あるいはホメオスタシスを維持するエネルギーが少ない、と言えられるのではないでしょうか。
私はこう意識している
私自身は、常にこのホメオスタシスを意識しています。
できるだけエネルギーをしっかり作れる体づくりを基本とし、無駄なエネルギー消費も極力減らすよう、日々の生活を心がけています。
私はメタトロンを所有しているので、定期的に測定をして、日々のコンディションを振り返る材料にしています。
※測定結果はあくまで目安です。
たとえば、次のような点を意識するきっかけになります。
- 新陳代謝がスムーズな状態にありそうか
- エネルギーの巡り(代謝)の感覚はどうか
- 以前より落ちている感覚がないか
こうした“傾向”を自分なりに把握できると、何をすべきかを生活習慣に落とし込みやすくなるので、重宝しています。
前回の中庸の話しはこちら。



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